昨日の夜ブルーハーツのギターで
青空を歌ったからか
朝歩きながら
青空が頭の中で流れ続ける。
TVで東京の湾岸エリア辺りのマンションの
値段が高くなってるらしいというのを見たからか朝の青空の下を歩きながら
"何がわかるというのだろう"
の歌詞がループした。
昨日の夜ブルーハーツのギターで
青空を歌ったからか
朝歩きながら
青空が頭の中で流れ続ける。
TVで東京の湾岸エリア辺りのマンションの
値段が高くなってるらしいというのを見たからか朝の青空の下を歩きながら
"何がわかるというのだろう"
の歌詞がループした。
河原で寝転がり空を見た
空との距離が近くなる
こどもの頃に見ていた空は
こんな距離感だったかもしれない。
今日はちょうど一年前が父の葬儀の日。
山形に居た父の母(祖母)も父の三日後に亡くなり偶然が重なり火葬の日が同日になった。
葬儀場に向かうバスの中でこの世とあの世を区切る線がなんだか薄いシールみたいにペラペラになっていく感じがした。もしかすると身体が無くなれば死は影よりも光なのかもしれないとバスの窓から差し込む午後の日差しの中で漠然と思った。